【雑談】「しかる教育」VS「しからない教育」

みなさん、こんにちは!進学塾ライトアップ、代表の西川です。

全ての中学校で期末テスト終了!みなさん、お疲れ様でした!長江中以外の中学校のみなさんは、今週から集団授業を再開しておりましたた。長江中の皆さんも来週から集団授業再開です!また一緒に頑張りましょう!

テスト前の土日でトータル20時間も塾で勉強してくれた生徒さんがいます!いや~、本当にすごかった!

みなさんの勉強に対する本気の姿勢を見せてもらうことで、私も頑張らないとなと気持ちを新たにすることが出来ています。頑張ってくれてありがとう!!

また、試験が終わっていても、土日を利用して学校の課題や塾の宿題をやりに来てくれた生徒さんもいます。一番勉強をするやる気が落ちる時期のはずですが、それでも誘惑に負けずに頑張って勉強していて素晴らしいです!

強制される勉強ではなくても長時間勉強する「体力」をつけることは、高校から先の勉強において必ず役に立ちます。コツコツ頑張る習慣がこの塾に通うことを通して出来てくれれば、これほどうれしいことはありません。今の学力がどうであれ、しっかりと正しい努力を積み上げていけば、少しずつ結果に現われますから、引き続き一緒に頑張りましょう!

さて、今回は生徒さんたち向けというようりは、保護者の方向けのつもりで書く内容です。本を読む時間もありまして、少し時間がかかってしまいました・・・。

私もまだ7か月と少しですが、子供の親になり、子育てをどのようにしていこうかと色々と考えているところではあります。そこで、最近気になったネット記事と、別の塾の先生におススメして頂いた本をご紹介して、皆さんにも色々と考えてもらえればと思います。

しかることは子供の学びや成長に効果が・・・ない!?

さて、もう2週間ほど前になりますが、こちらの記事をご覧になられた方はいらっしゃいますか?

「しかることは子どもの学びや成長に効果がない」その理由は?専門家の科学的な説明に思わず納得

こちらは、妊娠・出産・育児など赤ちゃんの子育て情報を中心に発信するサイト、「たまひよ」さんからの引用です。ちなみにこのサイトで「しかる」というワードをサイト内検索をすると、似たような関連記事がたくさん見つかりますので、興味がある方はぜひ他の記事もご覧になってください。「しかる」ことは「虐待」に近い・・・というような目を引く見出しの記事もありました。

私も以前から、感情的に「怒る」ことはダメだけど、きちんとダメな理由を話して「しかる」ことは大切だと聞いてきました。それが、「しかる」のも良くないというのは少し驚きで、思わず記事を読んでしまいました。

実際に読んでみると、文中の「しかる」と書かれている行為は、どちらかと言うと私の思っていた「怒る」という行為に近いような印象でしたが、それでも興味深く読ませてもらいました。それもあって、この先の私が書く内容に関しては、「怒る」「しかる」を混ぜて使ってしまったような気がしていますが、そこはどうかゆるしてください。笑

記事の中でインタビューを受けている、臨床心理士の村中先生はこうおっしゃっています。

私は、しかる行為は人の学びや成長を促すような効果はないと思っています。でも、親ならだれしもしかることやしつけは子どものために必要だ、効果があるはずと思っています。この、結果として効果がないのに効果があるように感じてしまうのが、しかるという行為の特徴です。

(中略)

その理由は科学的に説明できます。親がこわい顔をして「何してるの!」と大声で言うと、子どもはこわいと感じます。すると脳にある扁桃体を中心としたネットワークが活性化して、専門用語で「戦うか、逃げるか反応」と呼ばれる状態を引き起こします。この状態を私は「防御モード」と呼んでいます。

(中略)

親からしてみれば、「きちんとしかったから子どもが学んでくれた」と感じます。でも、この一連の流れで子どもが何か学んだかというと、学んでいません。親がしかる行為によって子を防御モードにして、自分の思いどおりの行動をさせているだけのことです。

子どもが「こわい」と感じた時は「防御モード」に入り、その状態を回避するために謝ったり、落ち込んだり、泣いたりといった行動をとるようですが、これはただ、「こわい」状態から逃げるための行動であり、何も学べていないため、次から同じ行動をしないように気を付けよう、にはつながらないのだそうです。

これは何となく、私も学生時代に経験したことのように思います。大声で怒鳴る先生の授業は、みんな静かにちゃんと授業を聞く一方で、怒られても怖くないような女性の先生の場合は、生徒たちが先生をなめてきって、怒られてもずーっとおしゃべりを続けているような、そんな場面がよくありました。もしも、怒鳴る先生に怒られた経験から、子どもがちゃんと学ぶことが出来ているのだとしたら、そこで学んだことを活かしてどの先生の授業だって真面目に授業を受けるはずですよね?

それが出来ていないということは、怒るという行為から子どもが学んだことは「その場しのぎ」をすること。その知恵がついただけということになります。

ただし、教える立場からすると、(他の先生の授業はさておき)せめて自分の授業さえきちんと受けてくれるようになれば・・・、という意味では怒ることは一定の効果があるのかもしれません。おしゃべりを止めたことで、しぶしぶであっても授業をきちんと聞くようになれば、それは学力向上につながることもあるでしょう。そうなると、巡り巡って学習面に効果があるのかもしれません。

では、「怒る」「しかる」をしても効果がないとどうして言えるのか? その理由について、村中先生は脳科学的なエビデンス(証拠)を用いて説明してくれています。

なぜなら、防御モードにある人間は知性や理性に関する脳の部位の活動が低下することがわかっています。これは、敵から命を守るために瞬間的に「戦うか、逃げるか」を判断するためです。
子どもは親にしかられている状況をどうしたら1分1秒短くできるか、そのための行動をするのです。「ごめんなさい」と言って片づけを始めるかもしれないし、加藤さんの息子さんのように寝てしまうかもしれない。子どもがそういう行動をすれば、親はそれ以上しからないですよね。でも実はそこには理性や知性による反省は存在しないんです。

(中略)

これは大人も一緒です。威圧的な態度で何か言われてストレスを感じているときに、それ以上のことを考えられないじゃないですか。冷静に振り返ると当たり前のことだけれど、親の立場になるとわからなくなってしまうんですよね。

しかられている最中は、脳が「防御モード」に入ってしまうことで、知性や理性に関する脳の活動が低下してしまう。つまり、冷静に考えて行動をしたり、何かを学習したりすることが難しくなる、ということのようですね。しかった後にフォローを入れるのでも、「防御モード」に入っている場合は、何を言ってもそれが頭の中に入っていかないようです。

だから、「しかる」という行為は、子どもが危険な行動をしようとしているときに、パッと行動を止めたり、やめさせたりすることには効果があるものの、何かを学習させるときには不向きということのようでした。

では、子供が「学習」をするのはどんなときなのか、村中先生は「冒険モード」という言葉を使って説明をされていました。

人はどんなときにいちばん学び成長するのかというと、それは防御モードと対極にある「冒険モード」になっているときです。防御モードは危険を回避するために行動しますが、冒険モードは、興味関心があってワクワクするから、やりたいから行動し自ら試行錯誤します。子どもの成長や学びには、いかに子どもの冒険モードを増やすか、が勝負です。

(中略)

子どもが冒険モードになるのは、やってみたい欲求が前に出て、かつちょっとだけチャレンジしなくちゃいけないときです。

(中略)

冒険モードになったときにチャレンジして楽しかった経験があると、次のチャレンジをする種になります。

(中略)

子どもの「ワクワク」がふくらんで冒険モードが好循環になると、親からしても予想外に「こんなことできるようになったな」、「こんなチャレンジしたんだな」って驚くことが増えるでしょう。わざわざほめる必要もないほど成長が見られると思います。ただ、冒険モードの弱点は、安定しないこと。一つ興味があってやってみたら次も必ずやるかというと、そうとは限らないんですね。だから子どもの興味が移ったとしても、チャレンジさせてみて、見守って、いろんな経験をさせてみるのは大事だと思います。

子どもが冒険モードになるために大事なことは、「自分で決めた」かどうかです。他人がふったサイコロで進むすごろくがつまらないのと同じで、親が決めてしまっては子どもは冒険モードにはなれません。

(中略)

子どもが自分で興味を持ったり、自分で決めたりして行動する、親はそれを見守り、サポートしてあげる。そのほうが、しかることよりもずっと子どもの学びや成長に好影響となるのです。

これは本当にその通りだと思うんですよね!

子育て関係の本を読んでいたときに、子供がつかまり立ちをするようにするためには、つかまり立ちをしないと取れないような場所におもちゃを置いてあげて、子供が自然とつかまり立ちをしたくなるような環境に置いてあげることが大切だと書かれていました。だから、うちの子のおもちゃも机の上に置いていたところ、あっという間につかまり立ちをするようになり、同じ要領でハイハイや伝い歩きも出来るようになってくれました。

成長のためには、「チャレンジ」が必要ということを子育てをしながら毎日実感しています。そして、そのチャレンジが危険なものにならないように、途中で手を貸すのではなくて、子供の動線にある危ないものはあらかじめ片づけておく、子供が大人の話を理解できるようになったら話し合ってルールを決める、などといった環境を整えてあげておくことも大切だと感じます。

勉強にだって、この話に通じるようなところがあります。「チャレンジ」が出来るようになった生徒さんたちは、定期テスト期間中、赤シートを使ったり、勉強タイマーを使ったり、To Doリスト(やることリスト)を作ったり、どんどん質問に来てくれたり、・・・こちらから何をしなさいと言わなくても、どんどん工夫をしながら勉強を進めて、点数を上げようと頑張ってくれるようになります。

もっと言えば、学校の勉強に縛られない生徒たちは、中学生の時点から高校の勉強の先取りを自分で始めたり、学校の範囲外のこともどんどん興味を持って勉強してくれていて、普通に私でも知識で敵わないことがあります。

好きなものをとことん知っておきたい、勉強のライバルに勝ちたい、先生を見返してやりたい、塾の賞状がほしい、自分の将来のために志望校に絶対に上位合格したい、目標点を取ったら好きな子に告白するぞ・・・理由や動機や目標は何だっていいので、毎回の定期テストや模擬試験に、少し頑張らないと成功出来ないような自分なりの「チャレンジ」を設定してくれるのもいいと思います。

もちろん、勉強以外の場面で「冒険モード」になれる瞬間があるなら、それを追い求めることだって、自分を成長させてくれると思います。だから、勉強が他のことの二の次になる生徒さんがいることだって、他に頑張っていることがあるなら、私は応援しているつもりです。ただし、何をするにしても、中学校の勉強内容くらいはしっかりと工夫をして、頑張っておく必要があるんじゃないかな?とも思います。

“受験も勉強も教えない教室”『探究学舎』 「勉強しろ」「覚えなさい」と言わなくても子どもが勝手に学ぶ秘密|NEWSポストセブン (news-postseven.com)

ちなみに、「冒険モード」と言えば有名な塾が1つ思い浮かびます。東京都三鷹市にある「探究学舎」という塾です。以前『情熱大陸』で特集されているのを拝見しましたが、今回もネット記事になっているようです。

授業の後、子供たちが家に帰ってどんどん勉強をするようになると言うんですから、塾の1つの理想形と言えると思います。

叱るのは愛があるから

さて、ここまで「しかる」ことに反対派の立場で、色々と意見を書かせてもらいました。ここまでを読んでいただくと、「しかる」ことがダメなように感じますよね。

ですが、世の中に100%の正解なんてありませんし、ましてや子育ては100人の子供がいれば100通りの正解があるでしょうから、ここからは立場をかえて、一見すると真逆に見える意見を紹介してみようと思います。

選手をバンバン叱る、指導中には「アホ」「ブス」などの暴言とも取れる言葉も飛び出す。

それでも選手を育て、圧倒的な結果を出させる。そして実は、厳しい指導の後には、必ずフォローを入れている。

・・・そんな「しかる」の代名詞といえば、シンクロナイズドスイミングの井村雅代さんでしょう。

オリンピックでは何度も日本代表コーチとして、選手たちにメダルを取らせてきた、一流の指導者の井村さんが書かれた『愛があるなら叱りなさい』には、「叱る教育」の大事な部分、他の指導者や家庭への愛のあるダメ出しが書かれています。

まずは井村さん自身の指導方針に関して、このように書かれています。

三十一年のコーチ生活の間には、実にさまざまなできごとがありましたが、決して曲げることなく、貫いてきたものが一つだけあります。

「本物を、本気で」というポリシーです。

(中略)

「完璧な演技」「ハイレベルな技術」という、自分にとっての絶対的な価値基準を持ち、あくまでもそれを唯一の物差しにして、選手たちの演技を評価する。すると、どうしても選手たちの欠点が目につくことになります。

そのとき、私はいっさい遠慮をせず、彼女たちにはズバリと本当のことを言います。

「ダメなものはダメ!」と。

歯に衣を着せず、それこそ本気です。いや、むしろ相手のプライドを傷つけるようなことをわざと言ったりすることすらあります。

(中略)

傍から見たら、確かにひどい叱り方をしているとか、けなしていると思われるかもしれません。

「なんで、彼女たちは、あんなにひどいけなされ方をしても、逃げ出そうともせずに、ついていくんだろうか?」

と不思議に思われるかもしれません。

「プライドを傷つける」という文面だけを見れば、パワハラという単語が浮かんできます。・・・が、もちろん、ただ自分のストレスを発散するために怒っているのではありません。

叱るときに、是対に忘れてはいけない大事なことが一つあります。

叱ったあとは、必ずフォローをするということ。

叱りっぱなしにすることは絶対禁物です。叱ることと、次に叱られないためにはどうしたらいいかを教えることが、いつでもちゃんとワンセットになっていなければなりません。

「ダメだ、ダメだ!」で終わってしまっては、叱られた選手はいたずらに傷つき、自信を喪失してしまうだけです。

(中略)

「あんたはやっぱりあかんから、これっきりやわ」

などとは、口が裂けても言いません。

この言葉は、私にとって最大のタブーなのです。では、どうするかといえば、

「あんたは、これはダメなんやな。じゃ、こっちをやってみい」

というふうに、どんどん新しい手を打っていくのです。

(中略)

新たな方法を提示するために、私はいつも二の矢、三の矢を用意しているのです。

私が知っている、とある塾長先生は、生徒をどんどん叱りつけます。

「なんで、ここでミスしてんだよ!その甘さが原因で一位を逃したんじゃないのか?」

模試を返却する際には、こんな怒号が飛びます。ただ、この先生は自分が話した言葉を授業後に全て書き起こして、生徒がどんなリアクションを取ったのかをメモしているのだそうです。そして、「生徒に一番響く言葉」を選んで、どのラインまでなら生徒を奮い立たせることが出来るのか、どのラインまでなら生徒が自信を喪失してしまうのかを見極めているのだそうです。そして、怒った後は、塾長以外のもう一人の先生が、必ずフォローを入れるのだそうです。

井村さんは「しかる」とその後のフォローをお一人で、そして世界でトップを争う選手たちに向けて言葉をかけてこられて、選手に結果を出させ続けてきたんですね。

井村さんは「しからない教育」=「ほめる教育」についてどうお考えなのかも書かれています。

「ほめる教育」というと、いかにも誰にでも通用しそうですが、本当は違います。

(中略)

人間はほめられると、誰でも守りの姿勢になります。

「よし」と言われたら、それをまずキープしておこうという心理が必ず働きます。ところが、実は守ることほど苦しくて、恐ろしいことはないのです。

「ものすごくいいね。このままの調子で試合に出たら、絶対に勝てるよ」

などと言われたら、かえって「一ミリでも崩れたら、どうしよう」と思い始め、結果的に失敗してしまうことが多いものです。

その点、チャレンジャー(挑戦者)は、守るものがない分だけ強いといえるでしょう。

だからこそ私は、つねにハイレベルを求め、選手を叱るのです。

「もう少し、もう少し」

と叱ることによって、一段、一段と着実に階段を上っていかせるのです。

緊張するような場面で、チャレンジャーとして思い切りやるほうが、ほめられていたやり方でミスをしないように頑張ろうとするよりも結果が出やすいということですね。

井村さんの著書『愛があるなら叱りなさい』の中には、この他にも家庭や教育関係者に対して、「もっとこうした方がいい」という様々なアイデアが書かれていました。叱る・叱らない以前の問題として、「目の前にいる子ども(生徒・選手)に対して、嘘をついたり、見栄を張ったり、目をそらしたりせずに正面から向き合う」という姿勢が大切なんだと、読んでいて感じました。

まとめ

ということで、後半は井村さんの「叱る教育」について触れてみましたが、この話はスポーツに限った話でしょうか? 緊張する場面は入試も同じはずだから、勉強にもそのまま応用できる話でしょうか?

私個人的な意見としては、確かに追い込みの時期に限って言えば、「叱る教育」というものはものすごく有効だと思います。(もちろん、井村さんがおっしゃっているように、叱った後のフォロー込みで、ですが。)

子どもたちが、叱られたことで少々のストレスを抱えることになったとしても、受験が目の前に迫っている状況です。それであれば、普段なら叱られても勉強をやる気にならないような子どもだって、自分のことを思ってプレッシャーをかけてくれることが理解出来るはずです。だから、いつも以上にダメなところを指摘する声が届いて、頑張ってくれるように思います。

ただし、勉強というものは結果が出ようが出なかろうが、才能があろうがなかろうが、それぞれが自分の決めたステージで、一生をかけてやり続けるべきものだと思います。だから、勉強を細くても長く続けていくきっかけを作るためには、やらせるのではなく、「冒険モード」に突入して、自ら勉強し続ける時期をたくさん作れるように工夫してあげることが必要なのかなと思いました。

ということで、「叱らない教育」が気になった方は「たまひよ」のサイトのその他の記事を、「叱る教育」が気になった方は井村さんのご著書を手に取って、さらに情報を集めて頂ければと思います。

こちらは、特定のご家庭や他塾さんの方針や、どこかの中学校の方針などを否定するものでは全くありません。

教育というのは、20年後、30年後・・・ひょっとしたら50年後くらいに、小さな芽が大きな木になったときに、初めてその成果が実感できるような林業のようなものです。子どもたちがそれまでに経験する色々な経験が複雑に絡み合って、1つの人格を形成していきます。

時には厳しい環境が必要な場合もあるでしょう。温室のような環境で大事に大事に育ててきたために、何かがあるとポキッと折れちゃうこともあるでしょう。そう思っていても、意外と丈夫な木に育ってくれることだってあるはずです。だから、どれが正解か分からないし、虐待などの極端なものを除いては、どれが不正解というのもないはずです。つまり、私に他の方の方針をどうこういう権限は全くないと思っています。

私は私なりに、色々と勉強をしながら、自分の子供にも塾に通ってくれている生徒たちにも、今自分が考えて、実行可能な精一杯のことをしていこうと思っています。上手く伝えきれなくて悔しい思いをするときや、結果を出せてあげられず申し訳ない気持ちになるときも多々ありますが、子供たちのその経験を次に向けたバネにしてあげたいと、強く強く思っています。

また来週から一緒に頑張りましょう!!

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