【読書レビュー】郡司芽久『キリン解剖記』

みなさん、こんにちは!進学塾ライトアップ、代表の西川です。

本日、12/22はお休みですので、ご注意ください!

いよいよ明日は終業式で、ここから冬休みに入りますね!そして、だんだん寒くなってきて、空気も乾燥して、風邪をひきやすくなってきます。みなさん、マスクをするのが習慣になっていて、のどが乾燥するということはあまり無いかもしれませんが、帰宅後は手洗い・うがいをして、きちんとウイルス予防していきましょう!

さて、今年度は理系の研究者の方が書いた本を教室に入れたい!ということで、いくつか本を買わせてもらいました。

私が文系学部出身のため、理系の大学・学部、そこから先の大学院というところについて、あまり分かっていません。それなら、実際に研究者として第一線で活躍されている方が、どのようなキャリアをたどって現在の研究をされているのか、本人の話を聞いた方が良いだろうということで、本を置いています。とりあえずは、今いる生徒さんの希望に合わせて、本を充実させたいと思っておりますので、生物系・農学部系の本は増えていくと思われます。

業務に追われつつも少しずつ読むようにしておりまして、先日そのうちの一冊を読み終えましたので、改めてご紹介したいと思います。

郡司芽久『キリン解剖記』

長い首を器用に操るキリンの不思議に、解剖学で迫る!「キリンの首の骨や筋肉ってどうなっているの?」「他の動物との違いや共通点は?」「そもそも、解剖ってどうやるの?」「何のために研究を続けるの?」etc. 10年で約30頭のキリンを解剖してきた研究者による、出会い、学び、発見の物語。

https://www.natsume.co.jp/books/11548 より引用

今までに30体以上のキリンを解剖した「キリン博士」である郡司先生の自叙伝です。郡司先生が、キリン博士になったのは27歳、そしてこの本を書かれた2019年当時は32歳ということで、研究者としては大変お若い方だと思います。

大学に入ってからキリンの研究をしようと決め、様々なキリン(の死体)と出会っていく中で、キリンの首の骨に関する驚くべき発見をするまでの様子が、イラストを多用しながら、出来るだけわかりやすく書かれています。骨の名前や筋肉の名前などは少し分かりづらいかもしれませんが、そこはイラストを見ながら、なんとなくでも良いので読み進めてもらえればと思います。

そして、私がこの本を通して、印象に残ったところは主に3つです。

①大学ってどんなことをする場所なの?

郡司先生が発見したのは、キリンの「8番目」の首の骨です。「生き物たちの首の骨は絶対に7個で、どの哺乳動物も例外はなし!」というこれまでの常識に、風穴を開けた素晴らしい発見をされました。今までの研究者たちが見逃してきた分野な訳ですから、ここから、他の生き物の新たな発見にもつながるかもしれません。

でも、・・・それって何の役に立つんでしょう? キリンの首の骨のことが分かったからって何なの??

答えは、「そんなもの知るか!」です。笑

この郡司先生がされているように、大学というところは、「教科書に書かれているんだから絶対正しい!」とみなさんが思っていることを疑ってみる場所です。また、高校までとは違って、答えがあるのかすらわからないものを考えていく場所です。何の意味があるのか、役に立つのかは二の次で、皆さんが興味関心をもった色々なことを考えていく場所です。(もちろん、医療系の学部のように例外もありますが。)

今、世の中にあふれている便利なものも、元々は、誰かが大学で、「こんなもの何の役にも立たない」と思われながらやっていた研究から、始まったものかもしれません。2015年にノーベル医学生理学賞を受賞された大村智先生だって、最初は近所のゴルフ場から土をもらってきて、その中にいる微生物を顕微鏡でひたすら観察していたそうです。それが、新たな細菌の発見につながり、その細菌が作る化学物質を改良することで、「イベルメクチン」という、熱帯地方の伝染病の特効薬の開発につながりました。結果、アフリカの多くの人の命を救った訳です。

このように、高校までの、教えられたことを覚える勉強よりは、みなさん自身が興味関心をもって調べることが、大学の研究では大いに役立ちます。だから、大学でどんなことをするのか、想像もつかないという人には、全部を理解しようとしなくても良いので、ぜひこの本を読んでみて、その雰囲気を感じ取ってほしいと思っています。

②「好きなもの」があるって大切

郡司先生がキリンの研究をすることになったきっかけは、「小さいころからキリンが好きだったから」だそうです。つまり、郡司先生がそうであったように、今のみなさんが興味・関心を持っていることが、皆さんの将来の仕事になる可能性もある、ということです。

本の中ではこのように書かれています。

子供の頃からキリンが好きだったとはいっても、幼少期からずっとキリンの研究者を目指していたわけではない。中学高校時代は部活や勉強が楽しくて、キリンが大好きであったことも頭の片隅に追いやられていたくらいだ。

(中略)

転機は、18歳の春に訪れた。第一志望の東京大学に入学して浮かれ気分だった私は、4月の半ば、友人と共に大学主催の「生命科学シンポジウム」を聴講しに行った。

(中略)

私は一体、どんな仕事をしたいのだろうか。シンポジウムの最中、漠然とそんなことを考えていたら、「人生の大半を仕事に費やすのならば、この先生たちみたいに一生楽しめる大好きなものを仕事にしたいなあ」という思いが生まれてきた。

(中略)

そしてふと思い出した。

「そういえば、私、動物のなかでも特にキリンが好きだったなあ」

郡司芽久『キリン解剖記』(ナツメ社)p.35-37より引用

キリンの解剖を世界一やっているかもしれないとおっしゃる方の第一歩も、「そういえば好きだったなぁ・・・」から始まっているというのは、ちょっと意外というか面白いですね。

郡司さんのように、幼い頃から好きだったものがそのまま研究テーマとなって、一生かけてやっていく仕事になる、・・・までのことはあまりないことかもしれませんが、それでも私は、中学生のうちから「好きなもの」はたくさん見つけておくべきだと思っています。その好きなものが皆さんの仕事になる可能性があることはもちろん、みなさんにとっての大切な趣味になることだってあるし、そこから新たな出会いがあるかもしれません。辛い時でも、その好きなもののおかげで何とか頑張れるかもしれません。

今なら何か好きなものがあれば、SNS上で世界中の人と話題を共有することが出来るし、動画配信サービスで色々な勉強になることだってあります。Youtubeを使って英会話の勉強をしてネイティブ並みに話せるようになった人も聞いたことがありますし、野球を上達させるためにYoutubeにアップされている動画を見て、色々とフォームを研究している人も知っています。塾に行かずともYoutubeの授業動画を見て、勉強をして成績を上げている人だっているでしょう。SNS上では、世界中の人とつながることが出来て、憧れの芸能人からコメントをもらえたりするかもしれません。

今の時代は、何か好きなものに徹底的にこだわろうと思えば、いくらでも可能性がある時代ですからね!

そして、入試の話で言えば、現中2以下のみなさんは、新しい公立高校入試で「自己表現」というプレゼンテーションを全員必須で行わなければいけません。その際も、好きなことがあって、それをちゃんと語れる人は強いと思います。

勉強が好きなものになってくれれば、私が何かしらの力になれるかもしれませんが、そんな人はあまりいないですからね・・・笑 だから、中1・中2のみなさんは、私が力になれない分、塾が忙しくない時期には、塾以外のところで好きなものを色々と探しておいてほしいです。遊びで得た知識が、これから仲良くなりたい人とのコミュニケーションの助けになったり、意外なところで勉強とつながったりすることだってあります。

自分のやりたいことを見つけてどんどん遊び、勉強をすべきときにはとことん勉強する。生徒さんたちにはそんな風に育ってほしいと思っています。

だからこそ、好きなものをお仕事にまでされた郡司先生のお話は、色々と参考になるところがあると思っています。キリンを研究したいと言って、それをダメだと否定しなかった遠藤秀紀先生も素晴らしいお方!

そして、私の考えをサポートしてくれるかのように、この本には「博物館にある3つの『無』」の話が載っています。

さて、皆さん。博物館にある『無』って何のことかわかりますか??

なぜこんなに標本をつくるのか。それは、博物館に根付く「3つの無」という理念と関係している。「3つの無」とは、無目的、無制限、無計画、だ。「これは研究に使わないから」「もう収蔵する場所がないから」「今は忙しいから」……そんな人間側の都合で、博物館に収める標本を制限してはいけない、という戒めのような言葉だ。

たとえ今は必要がなくても、100年後、誰かが必要とするかもしれない。その人のために、標本をつくり、残し続けていく。それが博物館の仕事だ。

(中略)

「日本でキリンの標本を集めても仕方ないよ。研究する人もいないし」。誰かがそう考えていたら、私のこの研究は成り立たなかった。博物館に収められたたくさんのキリンの骨格を見ると、これらを集め、未来につなげていこうとした過去の方々の心意気に胸を打たれる。

(中略)

何の役に立つのかわからないものを、忙しい中で作り続けるのは、それなりにしんどい。けれども誰かがやらなければ、標本を蓄積し、未来に残していくことはできない。私にキリンの標本を残してくれた過去の人たちに敬意を払い、私も、博物館標本を100年後に届ける仕事の一翼を担っていきたい。

そしてそれと同時に、100年前から届けられた標本を利用して、さまざまな研究成果をあげ、薄暗い収蔵棚に収められた標本たちに日の目を見せてあげたい。

(中略)

無目的、無制限、無計画。

「何の役に立つのか」を問われ続ける今だからこと、この「3つの無」を忘れず大切にしていきたい。

郡司芽久『キリン解剖記』(ナツメ社)p.212-213より引用

無目的、無制限、無計画。・・・これだけ聞くと、ネガティブな印象を持ってしまいます。

ですが、①の部分でも述べたように、「役に立つ」かどうかは関係ない、もしかしたら今後何かの役に立つかもしれないし、100年経っても役に立たないままかもしれないけれど研究をしてみよう、というのが大学のスタンスですし、この姿勢ってすごく大切だと思うんですよね。

好きなものをやって活き活きした表情を見せてくれる時の方が、塾に通いながらもこちらの話を聞かずに死んだ目をしている時よりも、多くの事を学んでいることだってあると思います。その子がただゲームをしているだけであっても、色々と作戦を立てたり、細かく指を動かす動作が脳を刺激したり、必死に文面を理解しようとして国語に強くなったり、オンライン上で仲間とのコミュニケーションをとる練習になったり、知らず知らずのうちにキーボードのタッチタイピングが速くなったり、色々な学びを得ている可能性もあります。

無理に大人が勉強する機会を与えようとしなくても、そういった勉強以外のところから、無意識のうちに色々なことを学び取っているんじゃないかと思います。その証拠に、テストの点数が良い人だけが社会で成功する訳じゃないし、高卒・中卒で勉強は全く出来なくても、立派なことをされている方、楽しく生きている方はたくさんいる訳ですからね。好きなことをやって、その好きなことから学びを得てほしいです。

そうは言うものの・・・、勉強して良い高校、良い大学にいった方が将来の選択肢が広がるのは事実だし、子どもにはやっぱり勉強をしてほしい・・・。そう思われる方には、次のお話が非常に印象的かもしれません。

③身近にいる「勉強している大人」の存在

郡司先生とそのお母様のエピソードが、本の最後の方にコラムとして書かれているのですが、それが素晴らしい。

ここでは抜粋して載せていますが、ぜひ気になった皆さんには全文を読んでいただきたいです。

「子供の頃からキリンが好きで、キリンの研究をしています」

そう話すと、結構な頻度で、「親御さんは研究者か何かなの?」と尋ねられる。残念ながら(?)、私の父は普通のサラリーマンで、母は専業主婦だ。

ただ、私の母はちょっと変わった人である。「フィーリングが合わない」と言って幼稚園を中退し、「雨が降りそうだから帰る」と言って高校を早退してしまうような人だ。雨が降ってもいないのに、だ。娘の私から見ても、ちょっと普通じゃない。少しは宮沢賢治を見習った方が良い。

(中略)

そんな変わり者の母は、私が中学生の頃、カルチャーセンターで「お香作り」を習い始めた。母はすぐにお香作りに夢中になり、材料を揃え、家でもお線香や匂い袋を作るようになった。

母は次第に、お香にまつわる歴史についての本を読むようになり、ついには匂いにまつわる専門的な科学書らしきものまで読み始めた。

(中略)

当時の母は、50歳くらいだった。「記憶力が落ちてるから、すぐ忘れちゃう。」などと困り顔で言いながら、毎日楽しそうに本や資料を読み込んでいる母の姿は、お香と出会う以前よりもはるかに輝き、人生を楽しんでいるように見えた。

知識は生活を豊かにし、目にとまるものに価値を与え、新たな気づきを生み、日常生活を輝かせてくれる。私は、母の姿を通じて、知識を身につけることの楽しさと素晴らしさを学んできたような気がする。そして、誰かに強いられて知識を詰め込む「勉強」と、自らの喜びとして主体的に知識を得る「学問」の違いに気付いたのだと思う。

(中略)

母は、私に対して「勉強しなさい」と言ったことは一度もない。ただ、母自身が学問に励むことで、学問の素晴らしさを身をもって示し続けてくれた。私が研究者として生きていく上で、一番大事な基盤を作ってくれたのは、間違いなく母だと思っている。

郡司芽久『キリン解剖記』(ナツメ社)p.201-204より引用

なかなか衝撃的なお母さんのエピソードですが、身近にいる大人が勉強をしている姿勢を見せると、子どもも勉強をするようになるというお話ですね。

確かに、親がテレビ番組を見ながら「あんた、ちゃんと勉強しなさいよ!」と怒ったところで、子どもには説得力はないですよね。なんで自分ばっかり・・・となって、やったフリをしたり、宿題を写したり、かげでコソコソとサボるテクニックを身につけるかもしれません。周りに楽しそうに勉強をしている人の姿があると、それはもっと違った様子になるかもしれません。新しい知識を得ることで、人生が輝いている人がいれば、そんな風になりたいなと憧れるようになり、勉強が苦にならなくなるかもしれません。

だからこそ私も、普段の授業中にはこの勉強をしたことで、こんなことが勉強になったんだよ~という話をよく混ぜています。実際、その知識があることで、世の中の理屈が分かった訳ですから、楽しいんですよ!笑 生徒のみなさんにも、そのあたりの面白さをぜひ分かってほしい!

最近の中1数学であれば、「一直線上にない3点があれば、平面がただ1つに決まる」というお話をしましたが、だからこそカメラを立てるための三脚は、3つの点だけで、カメラをがっちり固定できる訳ですよね。上に乗るものが人の場合には、ころころと重心が動いてしまうから、念のためもう1点追加して、椅子の足は4本になったんでしょうかね?

中1理科で出てきた「花こう岩」も、墓石に使われていることが分かれば、今度お墓参りに行ったときに、墓石を近くで眺めてみて、どんな鉱物が含まれているのかを確かめることが出来ますよね。「長石」や「黒雲母」が確認できると良いですね。その墓石が大昔は火山のマグマだったんだと考えると、なが~い歴史が感じられますね。

中2理科で出てきた「並列回路だと全体の抵抗が小さくなって、電流が流れやすくなる」という話も、だからこそ家で電化製品を一度に使いすぎると、電流が流れ過ぎてしまって危ないからブレーカーが落ちちゃうんですよね。回路全体の抵抗(合成抵抗)と障害物競走の話も、少しは頭に残ってくれていて、学校のテストのときにきちんと思い出してもらえると嬉しいです。

国語の古文の話であれば、「ありがたい」というのは「有難い」という漢字で書かれているように、「有ることが難しい」ということで、昔は「滅多にない、珍しい」の意味だったという話をしました。きっとそこから、滅多にないものがあることに対する感謝の気持ちが生まれて来て、その感謝の気持ちだけが意味として残っていったんだろうなと考えると、面白いんですよね。もしかしたら、1000年後には、「スーパーレア」「ウルトラレア」という言葉が、「ありがとう」の意味で使われているかもしれませんね。笑 古文に登場する「あはれ」や「をかし」は、今で言うところの「エモい」だっていう話も、印象に残ってくれていると嬉しいです。

ということで、私はこれからも「勉強しなさい」とは大して言わずに、「勉強した先に待っている人生を楽しんでいる大人の1人」として、生徒たちの見本であり続けたいと思っています。

・・・と、こんな話をしていると、久しぶりにこの詩を読み返したくなったので、最後にご紹介をしておきます。

子どもは けなされて育つと 人をけなすようになる

子どもは とげとげした家庭で育つと 乱暴になる

子どもは 不安な気持ちで育てられると オドオドした小心者になる

子どもは 憐れみを受けて育つと 自分はかわいそうだと思うようになる

子どもは 馬鹿にされて育つと 引っ込みじあんな子になる

子どもは 嫉妬の中で育つと 人をねたむようになる

子どもは 叱られてばかりだと 「自分は悪い子だ」と思ってしまう

子どもは 広い心で接すれば キレる子にはならない

子どもは 親が正直であれば 正義感のある子になる

子どもは 励まされて育つと 自信を持つようになる

子どもは ほめられて育つと 人に感謝する明るい子になる

子どもは 存在を認められて育つと 自分が好きになる

子どもは 努力を認められて育つと 目標を持つ頑張り屋になる

子どもは 皆で分け合うのを見て育つと 思いやりを学ぶ

子どもは やさしさや思いやりの中で育つと やさしい子になる

子どもは 安心感を与えられて育つと 自分や人を信じるようになる

子どもは 親しみに満ちた雰囲気の中で育つと 生きることは楽しいことだと知る

子どもは 愛してあげれば 世界中が愛であふれていることを知る

あなたの子どもは どんな環境で育っていますか?

ドロシー・ロー・ノルト『子どもは大人の鏡』

ということで、・・・関係ない話をしていたせいで8000字近くになってしまった読書感想文でした。

中1・2のみなさんは早く冬休みの宿題を終わらせて、色々なことにチャレンジできる冬休みにしていってください!

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