【雑談】「先生、これでもいいですか?」の答えは、すべて教科書の中にある。
みなさん、こんにちは!進学塾ライトアップ、代表の西川です。
7/5日, 6月はお休みです。
ようやくすべての学校の定期試験が終わりました。皆さん、お疲れ様でした!
テスト期間の約2週間のうち、12日以上通塾をした生徒たちに「テスト前道場皆勤賞」を渡していますが、今回はそれが20枚近くになりそうです。すごい!
実際のところ、ほとんど塾に来ずとも家で勉強を頑張って9教科平均で90点以上を撮ってくれている生徒さんもいます。また、塾に来ながらもなかなか集中が出来ず、私に何度も注意されている生徒さんも一部おります。
徒歩で数分の距離にいる生徒から、車で20分ほどかけて通ってくれる子まで(過去にはフェリーと電車を乗り継いでわざわざ塾に来ている子もいました)色々な生徒さんがいるので、テスト期間の通塾について、特に強制はしていませんが、それでも皆さんが頑張ろうという意識が、塾全体に生まれているように感じます。特に今回はみなと中2の生徒さんたちの一部が、新たに気付いてくれたように思います。
また、塾に来ても勉強を頑張れない問題児は過去にもたくさん見てきましたし、今現在もそんな生徒たちに頭を悩ませることもありますが、そんな子たちが「本気になって勉強を頑張ろう」と気付いてくれるまで、根気強く接していきたいと思っていますし、受験期に心を入れ替えて真剣な顔になってくれるのを楽しみにしている自分もいます。
大事なことは、「目標に届かなかったなら、しっかりと反省をして、次に活かすこと」です。定期テストなんて転んでもいいんです。ただ、そこから良い転び方を覚え、しっかりと立ち上がって頑張れる、そんな経験を積んでほしいなと思っています。
さて、定期試験や模試のあと、生徒からよくこんな質問を受けます。 「先生、記述問題でこう書いたんですけど、これでも丸ですか?」
採点基準のギリギリを攻めた答案を手に、期待に満ちた目を向けてくる生徒たち。そんな時、私は自分の講師としての経験や感覚で「これはアリ」「これはちょっとバツかな」と答えることもありますが、それと同時につい口にする言葉があります。
「教科書にはどう書いてあるか、もう一回チェックしてみて」
実はこれ、ただの確認を促しているわけではありません。教科書の文面というのは、私たちが想像する以上に、言葉の1つ1つに「そう書かれなければならない圧倒的な理由」が詰まっているからなのです。
今回は、最近生徒たちとのやり取りの中で改めて実感した、「教科書って、本当にもの凄く大切だよ」というお話をさせてください。
① 「国風文化」=「日本独自」の罠
まずは歴史の話から。 例えば、平安時代の「国風文化」を説明しなさいという問題があったとします。次の2つの説明、どちらが正しいと思いますか?
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唐風の文化を基にしながら、日本の風土や生活、日本人の感情に合った文化
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遣唐使が停止されたことにより生まれた、唐の文化よりも日本独自の価値観を大切にした文化
「国風」という言葉の響きや、「遣唐使の廃止」という劇的なイベントの印象から、ついつい2の「日本独自」を選びたくなってしまうかもしれません。
ですが、正解は1です。
教科書をじっくり読むと、必ず「唐風の文化を消化吸収し」「基にしながら」といったニュアンスが書かれています。 考えてみれば当然ですよね。いくら中国という巨大な国家との公式な交流が絶たれたからといって、それまで何百年もかけて日本に根づいた最先端の文化や漢字、仏教などを、ある日突然スパッと忘れてゼロから「独自のもの」を作れるわけがありません。
教科書は、こうした歴史の連続性やグラデーションを、極めて正確に表現しています。だからこそ、教科書の表現から外れた「自分流の解釈(=日本独自)」で書いてしまうと、記述問題でバツを食らうことになるのです。
② なぜ「ドナーカード」という言葉が消えたのか?
先日、中学3年生の生徒からこんな質問を受けました。 「先生、臓器提供意思表示カードってドナーカードのことですよね? 答えにドナーカードって書いたらダメですか?」
確かに、大人の感覚からすると「ドナーカード」の方が馴染み深いかもしれません。私も気になって最新の教科書を確認してみたのですが、驚いたことに「ドナーカード」という文字はどこにも見当たりませんでした。
「昔はみんなそう呼んでいたのに、なぜだろう?」
気になって調べてみると、そこには教科書が言葉を選ぶ際の、深い配慮と理由が隠されていました。
「ドナー(臓器提供者)カード」という名称だと、どうしても「臓器を提供することが前提(提供する人が持つカード)」というニュアンスが強くなってしまいます。しかし、この制度で本当に大切なのは「提供したい」という意志だけでなく、「提供したくない」という意志も同じように尊重されることです。
もし名前に引きずられて、「提供したくない人は書きづらい」という空気を作ってしまったら意味がありません。だからこそ、現在は「提供する・しない」のどちらの意志もフラットに表示できる「臓器提供意思表示カード」という正確な名称で教科書に記載されているのです。
これを知った時、私はハッとしました。教科書の記述には、社会の変化や人権への配慮といった重大な理由が裏にある。それを思うと、私たち塾講師が「その場の感覚」だけで記述のマルバツを安易に判断することの危うさを、改めて思い知らされます。
③ 定期テスト「100点近く」をもぎ取る生徒が、わざわざ補習に来る理由
教科書の凄さは、英語でも全く同じです。
当塾では、定期試験の直前に生徒を集めて「英語の教科書補習」を行っています。 「この“that”が指す内容を日本語で説明して」「この不定詞は何用法?」「ここで時制の一致が起きていない理由は?」といったように、普段の授業では流してしまいがちな英文を、1文1文徹底的に解剖していく作業です。
もともとは「定期テストで80点に届かない生徒」の救済措置を主な目的として始めた補習なのですが、蓋を開けてみると、毎回90点後半や100点近くを叩き出すトップ層の生徒たちが、欠かさず最前列に座っています。
彼らは知っているのです。教科書を「なんとなく読める」レベルで終わらせず、隅々まで読み切ることの価値を。
今の英語の教科書は本当に面白く、社会の変化を敏感に反映しています。 SNSで使われる lol (laughing out loud=大爆笑) や CU (See you=またね) といった現代的なネットスラングが紹介されていたり、シンガポールやオランダなどの多様な多文化社会のあり方が学べたりします。単なる語学の枠を超えた、生きた教材なんです。
「受動態の書き換え」という大いなる誤解
教科書を侮ってはいけないエピソードとして、私が大学時代に、筑波大学附属駒場(筑駒)の先生から厳しく指導された経験をお話しさせてください。
大人の皆さんに「受け身(受動態)の文法は?」と聞けば、多くの方が be動詞 + 過去分詞 + by 〜 と答えるでしょう。そして、学校のワークによくある「能動態の文を、受動態に書き換えなさい」という問題を思い出すはずです。
しかし、その先生にはこう叩き込まれました。 「意味もなく能動態を受動態に書き換えるような指導をしてはいけない」と。 少なくともネイティブはそんな機械的な書き換えはしませんし、私たちだって母語である日本語でそんな不自然なことはしません。
例えば、次の2つの文を比べてみてください。
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能動態:
Shakespeare wrote "Romeo and Juliet".(シェイクスピアがロミオとジュリエットを書いた) -
受動態:
"Romeo and Juliet" was written by Shakespeare.(ロミオとジュリエットはシェイクスピアによって書かれた)
文法的にはどちらも大正解です。ですが、実際の英語ではこれらは全く違う場面で使われます。
受動態が本当に使われるのは、「誰が書いたか(シェイクスピア)」よりも、「何が書かれたか(ロミオとジュリエット)」にスポットライトを当てたい時です。あるいは、「誰がやったか分からない時(財布が盗まれた、など)」や、「わざわざ誰がやったかを言う必要がない時」です。
つまり、受動態の本質は「動作をした人(by 〜)」をわざわざ言わないことにあります。
そのため、教科書に出てくる生の英文をよーく見てみると、実は by + 人 という表現はほとんど使われていません。それなのに、学校のワークで何度も能動態と受動態をパズルのように書き換えさせていると、生徒たちは「受け身には by が絶対に必要なんだ」と誤解してしまいます。 (もちろん、主語と目的語の関係性を理解するための『パズル』として、一定数は重要な練習ですが、そればかりを全肯定する訳にはいきません。)
教科書の巻末を開いてみると、そこには何十人もの高名な大学教授や、現場の中学・高校の先生方のお名前がずらりと載っています。 英語の文字通り「超専門家」たちが集まり、その知識と経験を結集させて、一文一文の「なぜここでこの文法が使われているのか」という必然性を極限まで突き詰めて作った文章――それこそが教科書なのです。
そう考えると、私たち塾講師も、教科書の英文をただ「訳せるね」で流すわけにはいきません。じっくりと、その裏にある本質まで解説せずにはいられないのです。
結論:最強の参考書は、いつも学校の机の中にある
市販のカラフルな参考書や、塾のテクニック満載のテキストは魅力的です。効率よく点数を取るための近道に見えるかもしれません。
しかし、日本の一流の研究者や編集者が知恵を絞り、一言一句にこだわり抜き、時代の変化に合わせてアップデートし続けている教材――それこそが、生徒の皆さんが毎日カバンに入れている「教科書」です。
記述問題で迷った時、英語の壁にぶつかった時、まずは教科書に戻ってみてください。そこには、どんな参考書よりも深く、正確で、そして納得のいく「答え」が必ず書いてあります。
私たちはこれからも、その教科書の行間に隠された「本当の面白さ」を、生徒たちに伝え続けていきたいと思います。


