【さかた塾リブート】天、共に在り――中村哲さんの生き様から私たちが学ぶこと

みなさん、こんにちは! 進学塾ライトアップ、代表の西川です。

今回は、過去にこのブログやライトアップのHPで何度も紹介してきた、中村哲(なかむら てつ)さんについて改めて振り返る「リブート記事」をお届けします。

実は、今の中学3年生が使っている光村図書の国語の教科書には、中村哲さんの著書『天、共に在り』の一節が掲載されています。 今の中3のみなさんが学校でこの文章を習うのは早くても2学期の後半でしょうか。現高1の生徒さんたちは、教科書で彼の言葉に触れ、何かを感じた人もいるのではないでしょうか。

私が中村哲さんという人物に強く興味を持つようになったのは、2019年12月に彼が現地で凶弾に倒れたという、あの悲しいニュースがきっかけでした。

当時の記事でも書きましたが、恥ずかしながら当時の私は中村さんのことをよく知らず、ニュースを見た瞬間は「海外の紛争地域で起きてしまった、よくある悲しい事件の一つ」として、そのまま聞き流そうとしていたのです。

しかし、その後に目にした「2枚の写真」が、私の心を激しく揺さぶりました。

1枚は、2001年ごろのアフガニスタン。大干ばつと爆撃によって、草木一本生えていない、見渡す限りの荒涼とした砂漠が広がる写真。

光村図書『国語3』p.191より引用

そしてもう1枚は、それからわずか7年後、2008年の同じ場所を写した写真でした。(※下の写真は教科書から引用したもので2019年の写真です。)

光村図書『国語3』p.191より引用

そこには、まるで奇跡のように、どこまでも青々とした緑あふれる大地が広がっていました。

「同じ場所とは到底思えない……けど、遠くの山の形は一緒ということは、同じ場所!?これを日本人がやったっていうの?なぜ?どうやって!?」

言葉を失うほどの感動と衝撃を覚え、私はそこから時間を忘れて、中村さんの足跡を夢中で調べるようになりました。なぜ、一人の医師がアフガニスタンでそこまで命を懸けられたのか、過去の記事を再構成しながら、彼の足跡をたどってみましょう。


1. アフガニスタンの状況(中村さんが入るまで)

アフガニスタンは、長年にわたる内戦や政情不安により、医療体制が完全に崩壊していました。 さらに、この地を襲ったのが「大干ばつ」です。大地の水分が失われ、井戸は枯れ、かつて豊かだった畑は砂漠へと姿を変えてしまいました。

食べるものも、飲む水もない。人々は飢えと渇きに苦しみ、子どもたちは汚れた水を口にして、下痢などの感染症で次々と命を落としていきました。お医者さんが目の前にいても、薬があっても、「きれいな水」をはじめとする生きるための環境が整っていなければ、救えない命がそこには無数にありました。

2. 中村哲さんの半生と、信念が生んだ「用水路」

中村哲さんの現地での活動は、1984年にパキスタンへ赴き、ハンセン病の診療に携わったことから始まりました。そこで中村さんは、隣国のアフガニスタンから命からがら逃れてくる、おびただしい数の難民の姿を目の当たりにします。

劣悪な環境で苦しむ人々を前に、「他に誰もいないなら、やっぱり困っている人を見捨てるわけにはいかない」と強い覚悟を決め、1991年にはアフガニスタン国内に診療所を開設し、本格的な医療活動に乗り出しました。

現地で患者と向き合う中、中村さんはある過酷な現実に直面します。子どもたちが命を落とす大きな背景には、医療や薬の不足だけでなく、深刻な水不足や食料不足、それに伴う衛生環境の悪化という根本的な問題があったのです。さらに2001年には、アメリカによるアフガニスタン侵攻が始まりました。激しい戦闘が終わり、難民たちが必死の思いで祖国に戻っても、そこには生活するための水も食料も一切残されていませんでした。

「まずは食うこと、食料と水をなんとかしなければ、医療だけでは命を救えない」 そう痛感した中村さんは、大きな決断を下します。それは、長年身につけていた「白衣を脱ぐ」ということでした。

「100の診療所より、1本の用水路を」

病気の背景にある水問題を解決するため、中村さんは自らクワを握り、重機を運転して土木工事を開始しました。

土木の専門知識はありませんでしたが、独学で必死に学び、日本の江戸時代の伝統的な治水技術(福岡県の山田堰)を参考にして自ら図面を引きました。日本から寄せられた寄付金をもとに現地の人々を雇い、共に巨大な岩を運び、汗を流し続けました。

「生活が成り立たなければ、武装勢力に流れてしまう若者も出る。農業が忙しくなり、食べていけるようになれば、そんなことをする必要はなくなるはずだ」 そう現地の状況を深く理解していた中村さんの熱意は、やがて多くのアフガニスタン人を巻き込む一大プロジェクトへと発展します。約7年の歳月をかけて、総延長25キロメートルにおよぶ「マルワリード(真珠)用水路」を完成させました。

その後も計9か所の用水路建設や修復に携わり、蘇らせた田畑の面積は約1万6000ヘクタール、約65万人もの人々の生活基盤と農業生産を支えるまでに至りました。しかし、現地の若い技術者を育成し、さらなる復興を目指していた矢先の2019年12月、中村さんは移動中に武装集団による銃撃を受け、73歳でその尊い生涯を閉じました。

3. 現在も続く意思と、夜空に輝く「星」

中村さんが亡くなった後も、彼の遺志は決して途絶えていません。 彼が率いた支援団体「ペシャワール会」は、政変や混乱が続くアフガニスタンの現在においても現地に留まり、用水路の維持管理や農業支援、医療活動を今も変わらず続けています。

そして2020年、中村さんの功績をたたえ、火星と木星の間にある小惑星に「Nakamuratetsu(中村哲)」という名前がつけられました。 世の中を良くするために命がけで活動された方のお名前が、宇宙の星となって、これからも日本とアフガニスタンをずっと見守り続けている――本当に素敵なことだと思います。


📖 もっと詳しく知りたい塾生のみなさんへ

教科書に載っている『天、共に在り』は、中村さんの壮大な活動のほんの一部です。

「教科書を読んで、もっと中村さんのことを知りたくなった」 「どんな風に用水路を作ったのか、映像で見てみたい」

そう思った人のために、塾には、中村哲さんに関する本や彼の活動を記録したDVDを置いています。(教室にある本はこちら、DVDはこちら

受験勉強の合間や、進路に迷ったとき、ぜひ手に取ってみてください。一人の人間が、強い信念を持って行動すれば世界をここまで変えられるんだということが、きっと大きな刺激になるはずです。

興味がある人は、いつでも気軽に声をかけてくださいね!

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