【雑談】『日本三國』の名セリフに学ぶ、「2つのタイプ」の首長と世を変えるエネルギー
みなさん、こんにちは!進学塾ライトアップ、代表の西川です。
さて、みなさんはアニメ『日本三國』をご覧になっているでしょうか? 以前のブログで書かせてもらった時の熱はいまだ冷めやらず、毎週私も楽しく観させてもらっています。教室にこっそりとおいているマンガも、たまに生徒さんたちが手に取って、休憩時間中に読んでくれているのを観ると、仲間が増えた気がして嬉しく思っています。
私は続きが気になり過ぎて、すぐに原作に手を出してしまい、今放送中の「聖夷西征」編については、すでに先の展開は知っているのですが、だからこそアニメオリジナルの演出だとか、原作にはあるもののアニメでは分かりやすさや尺の都合からカットされてしまったであろう部分を見直したり、楽しい日々を送らせてもらっています。
現実の政治の世界や国際情勢を、登場人物たちのセリフと結びつけて考えると、さらに色々な考えが浮かんできて、それも楽しめている要素の1つです。今回は、先日放送されたばかりの第11話『薪に臥して天を諭す』で登場した、とあるフレーズから私がさらに広げて考えてみたことを少しまとめてみたいと思います。
まずは、そのフレーズを語るにあたり、この1,2年何かと話題になっているとある元政治家の方をご紹介します。いま、日本の政治シーンで最も毀誉褒貶(きよほうへん)が激しく、かつ目が離せない(元)政治家の一人といえば、前安芸高田市長の石丸伸二さんでしょう。
ネット上では彼の熱狂的な支持者がタイムラインを埋め尽くす一方で、批判的な層からは「市政を混乱させた」「裁判で負けてばかりではないか」「選挙で負けが続いている」「分断・対立をあおっている」「結局何がしたいの?」といった厳しい声が絶えません。まさに賛否両論を巻き起こす台風の目となっています。
しかし、私たちは彼の「言動の激しさ」や「個別の成否」だけに囚われて、彼の真の狙いを見落としてはいないでしょうか。
今回は、彼が掲げた最大のテーマである「政治のエンタメ化」、そしていまアニメで最高に盛り上がっている政治戦略マンガ『日本三國』のシビアな台詞を補助線にしながら、現代の地方自治における「2つの首長タイプ」の役割について深掘りしていきます。
石丸伸二という「劇薬」と、政治のエンタメ化
石丸伸二さんの安芸高田市長時代を振り返ると、その足跡は強烈です。
市議会での「恥を知れ」発言に始まる議会との徹底抗戦、教育政策を重点政策と位置づけ、給食費無償化や市内の高校の生徒会への100万円を渡し使い道を自分たちで考えさせるという金融教育、ポスター代金や名誉毀損を巡る裁判での敗訴、そして任期途中で東京都知事選へ出馬するための辞職、「再生の道」という新党設立と都議会議員選挙での全敗――。
これらを「スタンドプレー」や「投げ出し」と批判する声は、地方自治の安定や法治主義の手続きを重視する立場から見れば、極めて真っ当な指摘のように思います。選挙に関しても、その手腕を疑問視する声もあります。
現に、彼が去った後の安芸高田市には、激しい政治的分断という「爪痕」が残った側面もありますし、石丸さん自身が新党の立ち上げに関わったものの、彼が早々に離党したことで、「投げっぱなし」という批判もあります。
しかし、彼の活動目的が「政治のエンタメ化(関心の向上)」であったと定義し直すと、評価はガラリと変わります。
「100万人の無関心」を動かした成果
石丸さんが本当に戦っていた相手は、目の前の老害市議や中国新聞ではなく、日本社会に蔓延する「政治への無関心」でした。「どんなに良い政策を掲げても、誰も見ていなければ意味がない」という冷徹な現実に対し、彼はYouTubeの切り抜き動画やSNSのアルゴリズムを徹底的にハックし、政治を「誰もがスクロールを止めて見てしまうコンテンツ(エンタメ)」へと昇華させました。
その結果はどうでしょうか。人口約2万7000人の小さな自治体の議会中継が何百万回も再生され、当時は地方公共団体のYouTubeチャンネルの中で一番登録者が多かったのだそうです。
そして、続く都知事選では、政党の支援なしに165万票を集めて2位に躍進しました。
「再生の道」という新党設立によって、これまで政治家になろうと思わなかったビジネスマンたちに新たな可能性を示し、優秀な人材が政治家を志す1つの道すじを作ったようにも思います。
また私も、石丸氏の活動を通じて、地方自治の「二元代表制」という仕組みをきちんと理解することが出来たように思います。地方の「首長」と「地方議会」と言う関係性は、国政における「内閣」と「国会」の関係に似ているように見えますが、実際は選挙の仕組みから何から、あらゆる面において異なります。毎年授業で公民を教えていて、知っているつもりになっていた部分や私自身が詳しくないためにさらっと流していた部分をクリアーにすることが出来ました。
彼の手法が「劇薬」であり、賛否が分かれるものであることは間違いありませんが、「日本人の政治への注目度・理解度を爆発的に高めた」という一点において、彼は誰も成し遂げられなかった圧倒的な成果を出したとも言えます。
『日本三國』から読み解く、現代首長の「2つの生存戦略」
ここで、アニメでも大きなインパクトを残した『日本三國』の本質的な台詞を振り返ってみましょう。アニメで放送された第11話で、大和国を裏で操っている内務卿の平殿器と、彼の側近とのやりとりで、このような会話がありました。
「優秀な戦略家は表に出ない。表に出るものは愚者だが、そういった人が世を変えられる」
細かい言い回しは異なりますが、意訳するとこのようなやり取りでした。
「賢者は黙して語らず、目立ちたがり屋はたとえ賢かろうが、リスクを背負って矢面に立つという意味で『愚者』に過ぎない。しかし、その愚者である(リスクを恐れない)からこそ、社会を動かす巨大な風を起こせる」――。
私は作中のこの2人のやりとりを聞いていて、まさに石丸さんのことが頭に浮かびました。というのも、安芸高田市議会での「恥を知れ!」発言のように、ニュースに取り上げられるようなフレーズ、SNSで切り取られそうなフレーズをあえて多用し、その結果全国の注目を浴びることになりましたが、それがなければ、大人しく議会と仲良くしていれば、もっともっと実現した政策もあったはずです。
マスコミへの対応にしても、けんか腰でなければ、もっと好意的に取り上げてくれるメディアはたくさんあったはずです。
そういった意味では『日本三國』の世界では、「目立ちたがり屋」「愚者」という位置づけになってしまうと思います。
(もちろん、石丸さんの意図は承知しているつもりです。今目先のことを考えるのではなく、ニュースや動画を観た人たちが自分の住む市町の地方議会に注目するきっかけづくりであったり、テンプレにはめ込んだような取材・報道しかしないマスコミに対して緊張感を与えるためであったり・・・)
このシビアな力学は、現代の地方自治における首長たちの構図に驚くほどピタリと当てはまります。
ネット番組を見ていると、日本の各地方公共団体には、私たちが名前も知らないような、恐ろしく優秀な首長(市長・知事)たちが存在することが分かります。
彼らのスタイルを分析すると、現代の首長は大きく次の2つのタイプに分類することができます。
タイプ①:粛々と成果を出す「実務派(賢者)」
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該当する首長: 芦屋市長、つくば市長、真鶴町長、佐賀市長、四條畷市の前市長など
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特徴: 行政のDX、財政健全化、子育て支援など、自治体経営として「100点満点の正解」を1枚ずつ積み上げていくタイプ。
この「実務派」の典型例の一人と言えるのが、長年わが街を支えてきた尾道市の平谷市長です。元々は中学校の校長として、当時荒れていた学校を抜群のリーダーシップで立て直した確かな手腕を持ち、教育委員会などでも極めて高い評価を得てこられた、まさに「教育と行政のプロ」です。
市長就任後も、サイクリストの聖地としてのしまなみ海道のブランド化や、尾道駅の駅舎建て替えなど、地域の特性を活かした持続可能な街づくりを粛々と推し進めています。
彼ら実務派の改革は非常に堅実で、地域に確かな安心をもたらします。しかし、彼らの改革はあまりにもスマートで摩擦を生まないため、ワイドショーやSNSでバズることは滅多にありません。良くも悪くも彼らの成果は「その自治体の中の最適化(部分最適)」に留まり、国全体の古い構造やシステムという高い壁を破壊して「日本全体(世)を変える」ほどのエネルギーにはなりにくいという限界があります。まさに「表に出ない賢者」です。
タイプ②:リスクを背負って嵐を起こす「劇場型(表に出る者)」
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該当する首長: 石丸伸二さん、橋下徹さん、丸山達也知事(島根県知事)など
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特徴: 強烈な言葉選びや既存権益との「対立構図」をあえて演出し、メディアや大衆の注目を一身に集めるタイプ。
実務の緻密さや手続きの美しさだけで言えば、彼らはタイプ①の「実務派」に見劣りするかもしれません。裁判沙汰や軋轢(あつれき)も日常茶飯事です。
しかし彼らは、島根県の丸山知事が国へ向けて放つ強烈な批判や、かつての橋下さんが巻き起こした維新旋風、あるいは石丸さんのネットドブ板選挙のように、「今、社会が何について議論すべきか」というアジェンダ(課題)を強制的に設定する天才です。
彼らが矢面に立って叩かれるリスクを背負う「愚者」になるからこそ、何百万人という無関心層のエネルギーが動き、古いシステムの壁に風穴を開けることができます。
結び:変革のサイクル
私たちはどうしても「どちらのタイプがリーダーとして正しいか」という二元論で語りがちです。
平谷市長のような「実務派」が築いた長年の安定は、間違いなくこの街の大きな財産です。しかし一方で、同じ体制や安定が長く続きすぎると、組織のどこかに「硬直化」や「緩み」が生じてしまうのも、組織の免れられない一面なのかもしれません。
実際、最近の尾道市では公務員の不祥事が散見されるなど、長年の体制ゆえの課題を指摘する声も聞こえてきます。特定の誰かを批判するわけではありませんが、組織の代謝を促し、時代に合わせた変化を起こすためには、時には外からの「新しい血」や、現状を揺るがすような新しい刺激が必要な時期が近付きつつあるかもしれません。
『日本三國』の台詞が示す通り、まずはリスクを恐れない「劇場型」の人間が最前線に立って大衆を熱狂させ、古い時代の重い扉をこじ開ける。そして、彼らが開けたその穴から、裏で牙を研いでいた「実務派」の賢者たちが一斉に流れ込んで、新しい時代の制度を粛々と構築していく――。
石丸伸二さんという政治家を「ただの騒がしい破壊者」として片付けるか、それとも「時代を動かすための最初の着火剤」として捉えるか。
全国の優秀な首長たちの仕事ぶりと、石丸さんが起こしたネットの熱狂、そして私たちが暮らすこの尾道のこれからの姿を並べて見たとき、現代日本が向かうべき「変革のグランドデザイン」が、少しだけ見えてくるような気がします。
みなさんは、この2つのリーダー像、どちらが今の時代に必要だと思いますか?
また教室で、色々な意見を聞かせてくださいね!


