【雑談】人文知を広げようとする深井さんに大いに共感した話
みなさん、こんにちは!進学塾ライトアップ、代表の西川です。
5/9土は10時から、5/10日は午前中は誠之館セミナーの見学に行くため、14時から教室を開けます!
突然ですがみなさんは、日々の中で「これって何のために勉強しているんだろう?」と立ち止まることはありませんか?
特に、学生時代に誰もが向き合う「古文」や「漢文」。
これらに対して、「現代では使わないし、もっと実用的なことを学んだ方がいいのではないか」という意見を耳にすることがよくあります。SNSなどでも、定期的にこの「古典不要論」は燃え上がりますよね。
高校1年生が言葉の難解さに苦戦をする中島敦の『山月記』は、過去に何度かやり玉に挙げられていたのを目にしました。確かに、「隴西の李徴は博学、天宝の末年、若くして名を虎傍に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」と言われて、普通の高校1年生は「??? これって日本語?」となるはずです。
実は私自身、以前は「古典を学ぶより、役所の書類の書き方や実務的なスキルを学んだ方が、子供たちの将来に直結するのではないか」という考えが優勢な時期もありました。
しかし、私が愛聴しているPodcast番組『コテンラジオ』のパーソナリティ、深井龍之介さんが語っていたある視点に触れてから、その考えは180度とはいかないまでも少し変わりました。今回は、深井さんの思想に私がどれほど共感し、今の時代にこそなぜ「人文知(リベラルアーツ)」が必要なのか、私なりの視点を交えながら、話をしてみたいと思います。(関連書籍はこちら)
以前取り上げた、深井龍之介さんのご著書のレビューはこちらです。
ビジネス書に潜む「賞味期限」の罠
深井さんは番組内で、ビジネス書を読み漁ることに対して、非常に懐疑的な視点を示されていました。これには、私もハッとさせられました。
もちろん、ビジネス書がすべて無意味というわけではありません。しかし、ビジネス書の多くは「刻々と変化する現代」を、「現代の価値観」だけで切り取ったものです。つまり、そこには「賞味期限」が存在するものが多くあります。
例えば、前回のブログで紹介した勝間和代さんは、2010年ごろに「〇〇の株式を買っておけ。」という話を著書の中でしたそうなのですが、それを実践した読者から、お礼のお手紙とともに現在の株価は約5倍になったことの報告を受けたそうです。ですが、当然ながら今現在、勝間さんの過去の書籍を読んで、株式を買おうと思ったとしても、それほどのうまみは無いはずです。
また、東大受験をテーマにして描かれたマンガ「ドラゴン桜」も、入試制度や倍率、入試問題の変化に対応するため、数年前にわざわざ「ドラゴン桜2」が書かれたくらいです。
10年前に「最強の勉強法」と言われていたものが、今も最善かと問われるとそうとも言い切れない現状があります。 英語学習を例に挙げてみても、2026年現在はインターネットを通じて、あらゆる情報が手に入り、AIによるリアルタイム翻訳や、ネイティブスピーカーとのビデオ通話も当たり前になりました。
かつてのように「机にかじりついて、ひたすら分厚い辞書を引くことだけ」が、必ずしも正解とは言えない時代になっています。
つまり、ビジネス書で良く取り上げられるような、現代の価値観だけで書かれたノウハウは、たった5年か10年かそこらで、一瞬で無価値になってしまうリスクを孕んでいるのです。
技術の進歩が「当たり前」を破壊する時代
最近の技術進歩、特に生成AIの飛躍的な発達を見ていると、深井さんの言葉がより重く響きます。
数年前、小学校でプログラミングが必修化された際、「これからはITの時代だ、エンジニアになれば安泰だ」と考え、お子さんにプログラミングを習わせた親御さんも多かったはずです。しかし、2026年現在の状況はどうでしょうか?
AIが、人間よりも遥かに速く、正確に、そして大量のコードを書く時代が到来しました。かつて「安定した高収入職」の代名詞だったエンジニアという職種のハードルは、ここ数年で一気に上がってしまいました。
これはホワイトカラー全般に言えることです。銀行の仕事、事務作業、さらには法務や会計といった専門職までもがAIに置き換わりつつあります。「アメリカでは、オフィスワークから肉体労働(ブルーカラー)へ転職する人が増えている」というニュースも、もはや珍しくありません。だから、高専の需要も今後どんどん上がってくるように思います。
「今、稼げるスキル」を身につけることは、大切です。しかし、技術革新によって「昨日の正解が今日の不正解」になるこの激動の時代において、「ノウハウ(やり方)」だけを追い求めることの危うさを、私たちは自覚しなければなりません。
「古典」の中に眠る、人類普遍のOS
そこで登場するのが「古典」です。
「新しいものでさえ、すぐに古くなってしまうのに、それよりももっともっと古いものを勉強するなんて、・・・マジで無意味じゃないの?」と思われる方もいらっしゃると思います。
ですが、古典とは、何百年、ものによっては千年以上もの間、大勢の人々に読み継がれてきたものです。時代も国も社会制度も、何もかも違うのに、それでも消えずに今も世界の誰かに読まれ続けています。
深井さんはここに、「人類にとっての普遍的な価値観」が隠されているのではないかとおっしゃっていました。私もこの仮説には共感します。
古典に登場する技術や社会制度は、当然現代とは異なります。馬に乗って旅をし、木簡に文字を書いていた時代の話かもしれません。テレビもない、ラジオもない、なんなら本すらない、そんな時代だったりもします。しかし、そこに描かれている「人間の葛藤」「嫉妬」「喜び」「恐怖」「リーダーシップの苦悩」は、驚くほど現代の私たちと変わっていません。
ビジネス書が「数年で古びるアプリケーション」だとすれば、古典は「人間という存在を動かすための、根源的なOS(基本ソフト)」のようなものです。
数年で無価値になるかもしれない流行のノウハウを追うよりも、数千年もの風雪に耐えて生き残ってきた知恵を学ぶ。深井さんが仏教哲学や歴史的な枠組みで現代の事象を鮮やかに解き明かしてみせるたびに、私は「これが人文知の力か」と深く感動し、尊敬の念を抱かずにはいられません。
アレクサンドロス大王が残した詩や、菅原道真が残した歌や、戦時中の兵隊の辞世の句に高揚したり共感したり同情したり・・・そうやって気持ちを通わせられるのも、私たち人間に通底する「何か」の存在を感じてしまいます。
私が「論語」を引用し続ける理由
このブログでも、私は中3の生徒さんたちが国語の授業で学習する『論語』をよく引用させていただきます。
「これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽む者に如かず(あることを知っている人は、それを好きな人には及ばない。それを好きな人は、それを楽しんでいる人には及ばない)」というものがありましたね。
これは、数千年前の言葉でありながら、2026年の学習現場においても全く色褪せない真理です。義務感で勉強している人よりも、その内容に知的好奇心を持ち、面白がっている人の方が、結果的に深く身につきます。
私たちの心の中にある差別意識、言いようのない不安、あるいはふとした瞬間に湧き上がる黒い感情。それらに対する「対処法」や「本質」や「欲におぼれた顛末(てんまつ)」は、すでに数千年前の先人たちが古典の中に書き残してくれている場合が多いんです。
そうした価値観を掘り起こし、現代の言葉で伝え直していくこと。それこそが、文系の学問を少なからずかじった人間に課せられた、大切な役割の一つなのではないかと考えるようになりました。
入試が果たす「バトンの継承」
最後に、少し視点が変わりますが、こうした古典や文学を「未来へ残していく」という点において、日本の「入試」というシステムが果たしている役割は意外に大きいと感じています。
先日SNSで話題になっていたのですが、兵庫県の名門・灘中学校が入試問題である詩人の作品を引用したそうです。そのことを知った作者本人が、SNS上で感謝のコメントを寄せていらっしゃいました。
参考その①:関西の最難関校、灘中入試が問いかける「本当の賢さ」とは
参考その②:パレスチナの詩 ガザの苦悩、人生の意味とは 灘中の入試で話題の2詩人
入試問題に採用されるということは、その詩が、これから灘中・灘高を目指す志の高い若者たちによって、5年、10年と精読され続けることを意味します。入試というフィルターを通すことで、素晴らしい知恵や感性が次世代のリーダーたちの血肉となっていく。これは非常に美しい循環ではないでしょうか。
実務的な書類の書き方は、必要になった時に学べば十分です。
というより、私個人の感想としては、たぶん中学生の頃に書類の書き方を教わっても、大人になって大して頭に残っていないだろうな・・・、です。今は住民票はコンビニでも取れますし、そもそもそれ自体が必要なのかが怪しくなってきていますしね。
しかし、「人間とは何か」「正しさとは何か」を問う人文知は、若いうちに触れて、考えて考えて、もやもやとした日々を送っておかなければ、一生手に入らないかもしれません。
深井龍之介さんが広めようとしている「歴史の面白さ」や「古典の価値」。それに共感する一人の教育者として、私もこれからも皆さんに、古くて新しい「知の冒険」を共有していきたいと思っています。
ということで、古典に秘められたものすごい可能性に、この年齢になってようやく気付き始めた私ですが、生徒の皆さんには中学生のうちにいち早く気付いてもらえるように、しっかりと授業に工夫をしていきたいと思っています。
頑張ってついてきてください!


