【英語】教皇選挙を見ました!
みなさん、こんにちは!進学塾ライトアップ、代表の西川です。
3連休もたくさんの生徒さんが塾に来て勉強を頑張りました!
さて、みなさんは『教皇選挙』という映画をご存じでしょうか? 最近の映画と言えば、『国宝』『鬼滅の刃』『チェンソーマン』など、アニメを中心に色々な作品が人気のようですが、この『教皇選挙』は、海外では昨年2024年に上映され、日本では2025年春に公開、アカデミー賞8部門にノミネートし脚色賞を受賞、映画好きな方たちから絶賛されているミステリーサスペンス映画です。サブスクで見られるようになり、いつか見てやろうとお気に入り登録にいれておいて、先日ようやく見終わりました!
はじめに断っておくと、この映画は中学生には少し難しかったり、退屈に感じたりするかもしれません・・・。というのも、出演者は基本的には激シブなおじいちゃんたちしかいません! 派手なバトルアクションシーンもありませんし、若いイケメンもいません。重厚な音楽、教会の裏側という普段は絶対に見ることのできないリアルな舞台、ベテラン俳優たちの名演技、シリアスで最後の最後までどんでん返しありのストーリー、ドロドロとした権力争いが魅力の大作映画です。
こちらの映画は、宗教とはどういうものか、権力争いのみどころは何なのかというところが分かっていた方が、楽しめる映画だろうと思います。公式ホームページに人物相関図や簡単な用語説明があるので、それを先に見てから映画を見た方がいいかもしれません。
ただ、難しそうだからといって、あきらめる必要はないかもしれません! 最近は映画の解説動画や感想動画、リアクション動画なんかをアップしているYouTuberもたくさんいますし、それを含めて楽しむというのも1つの楽しみ方です。先ほど紹介した公式ホームページにも、「視聴後に見てください」というネタバレ有の解説ページが存在します。だから、中学生には少々分かりにくいことは重々承知の上で、気にせず紹介してみようと思います! せっかく見たのにどんな話なのかよく分からなかったという人は、ぜひそういった解説系の動画やホームページなども合わせて楽しんでみてください。
あらすじはこんな感じです。
全世界に14億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派、カトリック教会。
その最高指導者にしてバチカン市国の元首であるローマ教皇が、死去した。
悲しみに暮れる暇もなく、
ローレンス枢機卿は新教皇を決める教皇選挙<コンクラーベ>を執り仕切ることに。
世界各国から100人を超える強力な候補者たちが集まり、
システィーナ礼拝堂の扉の向こうで極秘の投票が始まった。
票が割れるなか、水面下で蠢く陰謀、差別、スキャンダルの数々に
ローレンスの苦悩は深まっていく。
そして新教皇誕生を目前に、厳戒態勢下のバチカンを揺るがす大事件が勃発するのだった……。公式HPより引用
さて、中1の地理の復習ですね!
中1の世界地理では、最初の方で世界三大宗教について勉強します。
世界三大宗教と言えば・・・何でしょう?
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答えは、「仏教」「キリスト教」「イスラーム(イスラム教)」の3つですね。
それぞれの宗教にいくつも宗派がありますが、「キリスト教」ももちろんあります。
では、ヨーロッパ州のところで学習しましたが、キリスト教の主な宗派を3つ挙げてください。
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正解は、「カトリック」「プロテスタント」「正教会」の3つでしたね。
そして中2の歴史では、中世ヨーロッパのところで「宗教改革」というものを勉強し、「プロテスタント」がどのようにして誕生したかを勉強していくのですが、ここでは割愛しましょう。
カトリックという宗派の総本山となるのが、イタリアの首都ローマの中にある「バチカン市国」の、さらにその中にあるサン・ピエトロ大聖堂です。ミケランジェロの壁画・天井画が有名なシスティーナ礼拝堂もあり、コンクラーベはこの礼拝堂を締め切って行われます。

そんなカトリックのトップが「教皇」と呼ばれます。今の教皇が退位するかお亡くなりになると、教皇の補佐役である「枢機卿(すうききょう)」たちの中から、選挙・投票で次の教皇が決められます。その選挙が、今回のテーマとなっている「教皇選挙(コンクラーベ)」です。
「コンクラーベは根比べ」というダジャレがあるんですが、この映画を見ていて、特にお年寄りにとっては、本当に大変な行事なんだなと分かりました。世界各国から集められた100名以上の枢機卿たちが、誰を次の教皇にするかを話し合い、投票をします。外の情報が入ってしまって投票に影響を与えかねないということで、投票によって新教皇が決まるまで、スマホやパソコンなどの電子機器は預けておかなければなりません。情報が一切入らない、それどころか窓も締め切られて外すら見ることもできない中で、選挙を行っていきます。
この選挙は一度で総得票数の3分の2を集められればすぐに新教皇が決定して開放されますが、票が割れてどの候補者も3分の2に満たない場合には、もう一度投票をやり直し、決まるまでそれを繰り返します。過去には100日以上コンクラーベが続いたこともあるようです。
そして、多くの人々が教会の前で、次の教皇がいつ決まるかと見守っているのですが、彼らが投票結果をすぐに知る方法があります。それが、煙突の煙です。投票が決まらなかったときは、煙突から黒い煙が、投票で次の教皇が無事に決まれば、煙突から白い煙が出されて、投票結果を知らせることになっています。
私はてっきり、その煙は何か特殊なお香か何かを燃やすことで出るものかなと思っておりましたが、映画が事実に基づいたものであるなら、煙をだす機械のボタンを押して、人工的に色のついた煙を煙突から出しているようです。ハイテクだ!と感動しました笑
新教皇はすぐに自分の「名前」を決めます。この名前は、自分の主義主張と過去にいた優秀な教皇の業績を照らし合わせて、その名前を使わせてもらうことが多いようで、例えば2025年10月現在の教皇は今年の5月に就任したばかりの「レオ14世」ですが、14世であることからも分かるように、歴代教皇の中で「レオ」と名乗るのは14人目ということになります。このあたりは日本の歌舞伎や落語家の世界とも似ていますね。(今の市川團十郎さんは13代目だそうです。私からすると市川海老蔵という前の名前のほうがまだしっくりきますが・・・。)
そして、そんな実際の大きな宗教行事を題材にした映画『教皇選挙』ですが、おそらく現実の教皇選挙では起きないくらい、立て続けに大きなトラブルが起こっていきます。次々と新たな事実が発覚することによって、事態は二転三転していき、その都度投票結果が大きく変わっていきます。そして、最後は誰も予想できなかったような結果になり、最後の最後にもう1つ、今までのカトリックの歴史を揺るがすようなどんでん返しが起こります。ミステリーとしてとても面白かったです。
そして、私は英語字幕で見ていたのですが、カトリックではなくとも聞きほれるような素敵なセリフ、深いセリフだと思った場面が3つありましたので、そちらを紹介したいと思います。なお、以下の英文は私が聞き取った英文ですので、誤りがある可能性があります。もし誤りがあれば私のリスニング力が低かったんだと笑ってやってください。
私が見る限り、There is 構文、接続詞の文、不定詞や助動詞、関係代名詞など、中学生で習う文法もたくさん使われているんですが、一部「the+形容詞」や「強調構文」といった、高校生が習う文法も一部含まれています。たぶん、普段から丁寧に英文を読んでいる生徒さんでないと、どこが強調構文なのかすら分からないと思いますが、良ければ挑戦してみてほしいです。
次の教皇になるべき人は・・・
まず1つ目は、この物語の主人公であるローレンス枢機卿が、1回目の教皇選挙が始まる前に「次の教皇にふさわしい人は・・・」と、他の枢機卿の前で語った場面です。
To work together and to grow together, we must be tolerant.
(共に働き、共に成長するためには、寛容でなければなりません。)
No one person or faction should seek to be dominant another.
(いかなる個人や派閥も、他者を支配しようとすべきではありません。)
Gods gift to the church is its variety.
(神が教会に与えてくださった贈り物は、その多様性です。)
It’s this variety and this diversity of people view which gives our church its strength.
(この多様性と人々の視点の多様性こそが、私たちの教会に力を与えているのです。)
There is one sin which I come to fear above all others : certainty.
(私が他の何よりも恐れるようになった罪が1つあります。それは確信です。)
Certainty is the great enemy of unity, and certainty is the dead enemy of tolerance.
(確信は団結にとっての最大の敵であり、寛容にとっての最悪の敵です。)
Our faith is a living thing precisely because it walks hand in hand with doubt.
(私たちの信仰は、疑いと手を取り合って歩んでいるからこそ、生きているのです。)
If there is only certainty and no doubt, there would be no mystery, and therefore no need for faith.
(確信だけがあり、疑いがなければ、神秘は存在せず、したがって信仰も必要ありません。)
どうでしょう?中学生のみなさんだと、日本語訳の方を見ても、難しくて何を言っているか分からないという人もいるかもしれません。寛容(かんよう)というのは、「心が広い、他人の罪や欠点を厳しく責めない」という意味です。そして、このセリフ全体の意味を意訳すると、「心を広く、自分が絶対正しいと思い込まず、疑い続ける姿勢が大事だ」ということだと思います。
ただ、ここで話されていることは、カトリックに限らず、全人類が大切にするべき話かもしれないと私は思っています。
このスピーチのポイントは、多様性を受け入れようという話、「疑念」を持つことの大切さのお話、でした。違う人たちがいるからこそ、何かを決めるときに疑いや迷いが生まれ、それが信仰や、より良い選択につながるということです。
例えば、お昼ご飯をどこのお店で食べようかとなったときに、自分と仲の良い、いつも一緒にいる人たちだけで話し合いをすると、新たな選択肢はなかなか出ないでしょう。毎回コンビニのお弁当を買っているなら、今回もそうしようか、となってしまう可能性が高いです。
しかし、そこに全く別の価値観を持つ人が入ってくれば、沖縄料理とかインドカレーとかベトナム料理とか、いつもとは違う選択肢が増える可能性があります。新しいことに挑戦することは大変だし、失敗する可能性もあるし、何かとストレスがたまることもありますが、それによってみなさんは経験が得られます。また、意見がぶつかることで、深く考える機会が得られることがあります。
たとえそこで話し合った結果、今まで通りコンビニ弁当になってしまったとしても、比較検討することで、より自分たちにあったコンビニを見つけることが出来たり、改めてコンビニ弁当の良さが感じられたりすることだってあるはずです。「今回はコンビニ弁当のままだけど、次は思い切って別のものにしてみようか!」となるかもしれません。
「確信」の話も上の話と同様に重要だと思いました。「思い込み」と言い換えれば、私たちにももっと応用できます。
「どうせ無理・・・」、「絶対ヤダ・・・」「あいつはなんかヤダ・・・」
そんな風に何かを決めつけてしまうと、自分の世界は広がらないし、自分の予期せぬことが起きたときに対応できなくなります。
私は模試の最中、早く問題を解き終わって退屈そうにしている子で、目に余る態度の子には「見直しをしてみたら?」とか「問題用紙は持ち帰れるんだから、すぐに復習出来るように解答を問題用紙にメモしたら?」と話しかけることがあります。(テスト結果に影響を与えるかもしれないので、基本的にはあまりしませんが)
ただ残念なことに、私がこんな風に面と向かって言っても、やらない子はやらないんです。平気で無視してくるんです。苦笑 そういう子はきっと、見直しという行為が無駄な行為であるという「確信」があるから無視するんですよね。そしてそういう子は、ほぼ間違いなく成績は停滞します。やる子は1回言うだけで、毎回やってくれているんですが。
やらない子に「なんでやらないの?時間余ってるんでしょ?」と聞いても「・・・」(ずっと無言。無視?しかもやらない)とか「数学なら書いてもいいけど、社会は忙しくてどうせ復習しないから、メモしても意味ない」なんて言います。忙しいからこそ、ぼーっとしている今の時間を有効活用してほしいと思ったのに、他の習い事とやらが、ただやらないことの言い訳になってしまっています。
もちろん、本当に嫌なものの場合やどうでもいいものの場合は、逃げ出したっていいときもあると思いますが、自分が大事だと思うところ、大切にしたいところでは逃げない方がいいと思います。また、塾に通わせてもらっている以上は、少なくとも親御さんたちは勉強が「大事」だと思っているわけです。それなのに、どうしてこちらの指示が無視できるんでしょうね。
なんでもかんでも自分の都合の良いように思い込んで、新しいものに挑戦せず、新しいものを拒否し続ければ、今は楽かもしれませんが、近い将来、この多様性の時代では置いていかれます。「このままでいいのか?」「もっと自分を変えないと」という疑いの気持ちをもって、何か小さなことからでも変えてみようとする気持ちは、とても大切だと思います。(もちろん、私自身にも言い聞かせています。)
ということで、今回の英語のコメントには、古くからの伝統を守り続け、保守的であるはずのカトリックの司教が、変化を受け入れようとしている姿勢に、すごく感動させてもらいました。
理想的な人なんていない
2つ目はこちらにするか、シスターアグネスの女性差別に対する決意のコメントと、どちらにしようかと少し迷いましたが、こちらの方がよりみなさんに応用できると思ったので、こちらにしてみました。
これは物語の中盤、色々な出来事が起きて有力候補者が脱落していく中で、次の投票ではどの候補者を選ぼうかと悩んでいる、とあるグループ内で、ある1人の枢機卿がした発言です。(ネタバレになってしまうかもしれないので詳細は伏せます。)
The point is we will never find the candidate who doesn’t have any black mark against them.
(重要なのは、何一つ落ち度のない候補者なんて決して見つからないということだ。)
We are mortal men.
(私たちは生身の人間だ。)
We serve ideal. But we cannot always be ideal.
(私たちは理想に奉仕しているが、いつも理想でいられるわけじゃない。)
どうやら、自分たちの推している候補者だと教皇にはなれなさそうだ、では有力候補者であるAさんとBさんのうち、どちらの名前を投票用紙に書くか・・・Aさんの思想は過激で危険だから何としてもAさんは避けよう。Bさんも・・・ちょっと問題はあるけれどAさんよりはマシじゃないか!
という風な会話の後の発言でしたが、私は共感できました。どんな人であろうと、みんな自分と同じ「生身の人間」なんだから、もう少し広い心で受け入れようよ、ということです。
世の中には、政治家や公務員やスポーツ選手、芸能人など、時には一般人でさえも、その人の言葉や行動をあげつらって、寄ってたかってたたきまるということがネット上では度々発生しています。中には、非常に的を射た批判もあるように思いますが、感情に任せた汚い言葉の中には聞く・読むに堪えないものも多いですし、そこまで言う必要のないものも多々あります。
警察官や消防の方がコンビニでお弁当を買っただけで「あいつらは俺たちの税金で飯食ってるクセに仕事してない!」ってクレームが入ることがあるそうです。けどそれって、「自炊じゃなきゃ公務員はご飯を食べるな!」っていう人権侵害の無茶苦茶な話になってしまいます。そんなヘロヘロ状態の人が警察や消防をやっていて、事件や災害が起きたときに命を預けられますか?
当事者同士の中ではもう話し合いが終わっていて、双方の間では納得しているような解決済のトラブルでも、あとから炎上することもありますよね。被害を受けた人が納得しているなら、もうよくないですかね? 相手が社会に復帰するのが困難になるまで徹底的につぶしますか? 当事者同士はお互い縁が切れて関係修復不可能になってしまうこともあるとは思いますが、トラブルの後の生活もある訳です。同じ町の中に暮らしていたり、関わりは今後も続いていく場合が多いです。そうなると、相手と完全に縁を切るなんて現実問題難しいから、どこかで折り合いをつけないといけないときだってあります。逆に、自分の方が相手に迷惑をかけてしまうことだってあります。そのときに、自分も地の底まで落とされないとダメですか? 他人に100点満点を求めている人って、果たしてその人は自分の身の回りの人に対して、100%誠実に出来ているんでしょうか? 周りにいる90%の人にも「お前は10%足りないぞ!」と徹底的に修復不可能な関係になるまで責め立てているんでしょうか?
ということで、変なところでヒートアップしてしまいましたが・・・苦笑、理想と現実の折り合いは柔軟に、かつどちらか一方にだけ大きな不利益が無いようにしたいものです。
差別を助長しない心の強さを持て
さて、これは映画の終盤にとある枢機卿から発せられた言葉です。これもネタバレをしたくないので、誰が話したものかは濁しておきますが、非常に重要なコメントです。
教会の近くで、とある事件が発生し、隔離されている枢機卿たちもその被害を受けてしまいます。それが異教徒の仕業ではないかということになり、とある枢機卿が「宗教戦争だ!」「あいつらはケダモノだ!」とまくしたてます。それに対して、この物語のキーパーソンとなる、別の枢機卿が以下の発言をします。
With respect, what do you know about war?
(失礼とは存じますが、あなたは戦争について何をご存じなのですか?)
I carried out my ministry in Congo, Baghdad and Kabul.
(私はコンゴ、バグダッド、カブールで聖職についていました。)
I’ve seen the lines of the dead and wounded, Christian and Muslim.
(私はキリスト教徒もイスラム教徒も、死者や負傷者の列を見てきました。)
When you say we have to fight, what is it you think we’re fighting?
(あなたが、私たちは戦わなければならないおっしゃるとき、あなたは私たちはいったい何と戦っているのだとお考えでしょうか?)
You think it’s those deluded men who have carried out those terrible act today.
(今日、恐ろしい行動を実行に移した血迷った人々だとお考えですね。)
No, my brother.
(それは違いますよ、卿。)
※以下スペイン語です※
La lucha está aquí… aquí dentro de cada uno de nosotros si cedemos al odio y al temor, si hablamos de “bandos” en vez de hablar por cada hombre y cada mujer.
(戦いはここにあります…私たちの心の中です。憎しみや恐怖に屈して、一人ひとりではなく「属性」を見るなら、それは心の中の戦いです。)
Esta es mi primera vez entre ustedes y probablemente sea mi última.
(これが私がこの会で発言する最初で最後の機会になるでしょう。)
Y perdónenme, pero en estos días solo hemos demostrado ser un grupo de hombres pequeños y mezquinos. Interesados solamente en nosotros mismos, en Roma, en la elección y el poder.
(お許しください。しかし、ここ数日の私たちは、自分たち自身、ローマ、選挙、権力にしか関心のない、卑しくて器の小さい集団に過ぎないことを露呈してしまいました。)
Pero estas cosas no son la church.(しかし、そんなものは「教会」ではありません。)
La church no es la tradición.
(教会は「伝統」ではありません。)
La church no es el pasado.
(教会は「過去」ではありません。)
La church es lo que hagamos en adelante.
(教会はこれから私たちが何をするかにかかっています。)
(※参考 映画『教皇選挙』に宿る神の構造──なぜ“彼”が選ばれたのか?※ネタバレ有の考察ですので閲覧注意!)
この映画って、世界各国の枢機卿が集まっているので、英語だけではなく、様々な言語が聞こえてきます。今回取り上げたい場面は、途中からスペイン語になってしまっていたため、どうしようかと迷っていましたが、スペイン語の部分も含めて訳をしてくださっている方のサイトを見つけたので、参考にしてみました。(文章の切り方が間違っているとしたら、私のミスです。)
実際の戦争を見てきたこの枢機卿は、実際の戦争では、宗教に関わらず多くの人が傷ついてしまうことを指摘します。そして戦う相手を見誤ってはならないということも伝えます。途中からは話す言葉が、この枢機卿の母語であろうスペイン語になって、あなたが戦うべき相手は「自分自身」だということを伝えます。悪いことをした「個人」を見ずに、グループでくくってしまって、そのグループ全体をたたく行為はやめた方がいいということを主張します。
そして彼は、信者のため、世の中のためではなく、自分の保身のために教皇の座にすがりつこうとする人々を痛烈に批判していきます。
映画のストーリーは、もちろん「宗教」のお話なんですが、この「宗教」の部分を「会社」「国」「街」「学校」など、色々な集団に置き換えても当てはまるように思います。
誰かをグループ分けして、その中の人たちが全員そうだと決めつけるのは簡単なんですよね。私もついやってしっていました。「〇〇中の男子たちは本当にもう・・・」とかそういった具合です。お互いがお互いの足を引っ張り合ってほしくないからという思いや、同じ属性のメンバー同士高め合ってほしいという思いのもあって、あえてそういう発言をすることもあるのですが、そこまで深く考えずに、そうまとめて話した方が私が楽だからという理由で、ついつい使ってしまったこともありました。
ただ、悪いことをした人がいた場合に、その人ではなくその人の所属するグループ分けを責めるというのは、他の関係のない人たちにまでレッテルを貼る行為であり、差別につながる危険な考えなのかもしれません。「性別」「国籍」「人種」「家族構成」「血液型」「障害」「持病」「容姿」「住所」「職種」など、一般的にその人がどんなに頑張っても変えられないもの、変えるのが非常に困難なものを非難したり、誹謗中傷したりする行為は差別の可能性があります。
そんな言動をしてしまうのか、踏みとどまってしっかりと相手を見るようにするのかは、「自分自身との戦い」と言えます。作中屈指の名言であり、こんな考えの人の下であれば、自分のことを偏見なしにきちんと評価してくれると期待してしまいます。こんな人にリーダーをやってほしいと思いたくなりますね。
まとめ
ということで、途中に私の私怨?を混ぜながら長々と話をさせていただきました。私のようにセリフに「深いなぁ~」と感じるのもよし、単純に「教会でっけぇ!」「扉を開ける音がいかつい!」「音楽が重厚でかっこいい!」「俳優さんたちが渋い!」なんていう感想でもいいと思います。そこで、少しでも引っかかったことがあれば、色々な解説動画などを見ると、「へ~、そういうことだったんだ!」という発見もあると思います。
サブスクはいつ終わるか分かりませんので、興味を持った方はぜひ観てみてください!


